立春を過ぎると身も心も軽くなる。私は春生まれなので、あるいは
身体が自ずと季節の変化に反応するのかもしれない。わけもなく気
分が昂揚し、何か新しいことを始めたくなる。知識の吸収にどん欲
になって、美術展やコンサートの情報に敏感になるのもこの頃だ。
見るものすべてに心を躍らせる春、しかし何と言っても私の心を浮
き立たせるのは、八百屋の店先に並ぶ山菜の数々である。ふきのと
うに田ぜりは言うに及ばず、のびる、山ウド、タラの芽などなど。
これだけオールスターキャストで好物が手に入るのはこの時季だけ
と言っていい。
中でも好んで食べるのはふきのとうである。天ぷらもいいが、何と
言ってもふき味噌だ。荒く刻んでごま油で炒め、砂糖、みりん、味
噌等の調味料で味付けしてつやが出るまでゆっくり練る。料理本な
どを見ると、ふきのとうは刻んだ後一度湯がいて灰汁を取るなどと
記載されているものもあるが、私は自然の苦みをそのまま生かした
方が好きだ。
市販のふき味噌はやや甘めの味付けが多いが、あまり甘すぎると味
があざとくなるように思う。甘からず、からからず、自分の好みに
仕上げたふき味噌は、ご飯のおかずによし、酒のつまみによしで、
大変重宝する。まさに春を運んでくる味と言えるだろう。
のびるも見逃せない山菜の一つだ。東京の料亭などで出されるのび
るは、たいていはぬたに仕上げてあり、それはそれで洗練された味
わいだが、いささか野趣に欠けるように思える。新鮮なのびるは、
生のまま味噌をつけて食べるのが本当は一番うまい。
生ののびるはからすぎてちょっと、と言う方には練り味噌と合わせ
た一品がおすすめだ。細かく刻んで、よく練った甘味噌とひと和え
する。火を入れすぎないのがコツだ。これもおかずになるし、つま
みにもなる。
今は八百屋で買うのが当たり前になっている山菜だが、子供のころ
は野山に行けばいくらでも採れたものだ。遊びのついでに摘んで帰
ることもしばしばだった。いや、せり摘みやよもぎ摘み自体が遊び
の一環であったようにも思う。ふきのとうなどその辺の野っ原にい
くらでも芽を出していた。そうして摘んだ山菜がその日の膳にのぼ
り、父親の晩酌の友となるわけだ。考えたら、結構優雅で贅沢な遊
びである。
このようなことを書くと、山家の育ちのように思われるかもしれな
いが、決してそういうわけではない。生まれたのは北関東の都市部
であり、中学に入るころまでは、やや郊外だが、新興住宅地の団地
の一角に暮らしていた。両親は普通の勤め人だし、周りの友人たち
もみな似たり寄ったりの家庭環境だった。それでも周りには野原や
田んぼが点在していた。田舎だから、というより、それが昭和40
年代の地方都市の平均的な風景ではなかったかと思う。
だが、同じ地方都市の出身でも、さん生に言わせると、こうしたの
どかな風景はあまり馴染みがないという。実はこの男、街育ちであ
る。富山県富山市西町、というと地元の方ならすぐわかる。市内の
繁華街の真ん真ん中、大和デパートという、北陸では老舗中の老舗
である百貨店の裏手に住まいがある。東京で言えば、銀座の松坂屋
か松屋の一本路地裏に住んでいると思えばいい。つまり畑も田んぼ
も野っ原も、彼の遊びのテリトリーには存在しなかったというわけ
である。
盛り場には出入りしないこと、などという一文が、今は知らず、昔
は当たり前のように校則として記されていたものだが、幼い日のさ
ん生にとってはそんなもの屁のかっばである。何しろ日常的に買い
物に出かけたり、歩き回ったりするのが盛り場なのだ。時々学校の
先生に出会っても、「母に頼まれて買い物をしています」で簡単に
言い逃れができたという。
そういう環境で育ったさん生にとって、山菜料理は珍品の部類だっ
たようだ。田ぜりやタラの芽の天ぷらも、のびるやもふき味噌も、
びっくりするほどありがたがって食してくれる。物心つく前から当
然のように口にしてきた私から見ると、あまりにも簡単、というか
安直な料理に思えるのだが、彼にはそうではないらしい。まさに「と
ころかわれば品かわる」である。
「ところ変われば」と言えば、海のない土地で育った私にとっては、
富山の物産こそ珍品である。『黒づくり』と呼ばれるイカ墨を使った
塩辛や鱒の寿司など、富山の人間と結婚しなかったら一生口にするこ
となく終わっていたかもしれない。そして何より、富山湾で採れる新
鮮で脂ののった魚の数々。東京では信じられないような美味い魚が日
常的に食べられるのだ。魚っ食いにはたまらない土地である。
若い時分に金沢大学で教鞭を執っていた古井由吉が、その作品やエ
ッセイなどで時折北陸の風土についてふれているが、生粋の東京育
ちである古井は、刺身が毎夜当然のごとく膳にのぼる暮らしぶりに
まず驚いたという。私もそれは同様である。関東の人間から見ると、
北陸の人たちの何と贅沢なことか。新鮮な刺身を毎日食べるという
行為は、関東人からすれば、夜ごと日ごとに寿司屋に通っているよ
うな感覚なのである。
これは余談になるが、同じ古井の作品の中に「どじょうの蒲焼き」
について書かれたものがあり、おもしろく呼んだのを覚えている。
下宿先である印房の主人が、東京に帰省するたびに箱いっぱいのど
じょうの蒲焼きを土産に持たせてくれるのだが、それを、我慢でき
ずに電車の中で食べてしまうというお話である。
さん生もごく時たまだが、富山に帰郷した帰りに、このどじょうの
蒲焼きを土産に買ってくる。彼にとっては、それこそ幼いころから
馴染んだ味なのだろう。家でくつろぎながら美味そうに串をほおば
る夫を見ていると、そういう育ち方もあるのだな、としみじみ思う。
ところで、「どじょうの蒲焼き」はともかく、海沿いで育った割に
は、さん生は生ものがあまり得意ではない。磯臭さにいささか弱い
のだ。ところがその言い訳がふるっている。新鮮で美味ければ積極
的に食べるというのである。実はこの「新鮮で美味い」という基準
がくせ者なのだ。ハードルが思いのほか高い。どうやら子供のころ
に美味い魚を食べ過ぎたせいらしい。東京ではどんなに新鮮な刺身
も、どこか見劣りがするという。
何と贅沢な、と思うなかれ。もしも身近に海の近くで育った人がい
たら聞いてみるといい。みな口を揃えて同じようなことを言うに違
いない。どこで妥協するかは個々人の判断だが、とれたての魚を朝
な夕なに食べて育った人たちの舌の確かさには、文字通り舌を巻く
しかない。
それによくよく考えれば、私だって似たようなものなのだ。東京の
八百屋で買った野菜は、今ひとつうま味に欠けるような気がする。
そういう文句を、案外平気で口にしている。野菜と魚では値段が違
いすぎる気もするが、根は一緒である。育つ課程で培われてきた、
それこそが紛れもなく食文化というものなのではなかろうか。
海で育った者には海の、山で育った者には山の食文化がある。そん
なことを思いつつ、今日も自家製のふき味噌に舌鼓を打つ。口いっ
ぱいに広がる春の香りは、ふるさとの香りでもある。