かれこれ十年以上は前になるだろうか。その頃の私には、神楽坂が
ちょっとした遊び場であった。ここ数年すっかり足が遠のいてしま
っているが、以前は毎週のように通っていた町である。
勤め先が近所にあったわけでも、行きつけの店があったわけでもな
い。昭和28年生まれだから、私より大分年上になるが、ひじょう
に懇意にさせていただいた友人が住んでいたのである。
神楽坂生まれの神楽坂育ち、正真正銘の神楽坂っ子で、ご母堂は名
妓雅子ねえさんという家柄である。家は見番の真ん前で、置屋もか
ねており、ごくふつうに三味線の音なんぞが聞こえるような環境で
育った人だ。名前を明美さんというが、私はご家族にならって「あ
けさん」と呼んでいた。
夕刻、家を訪ねると、芸者さんたちが座敷の準備に忙しい。当時半
玉だったちぐさちゃん(後の舞子ねえさん)という芸者さんが、首
筋に白粉を塗るのを興味津々で眺めたり、あでやかな着物姿に見と
れたりと、芸者遊びは一度もしたことはないけれど、その雰囲気だ
けは十分に堪能していたと言えるだろう。
ちなみに今は売れっ子芸者の舞子ねえさん、半玉から一本になると
きにお披露目の先達をしたのはさん生である。唐桟の着物に股引で
尻っぱしょりし、「ええ、お披露目でござい」と声をかけながら手
ぬぐいを持って各料亭をまわるのだ。なかなか得難い体験ではあっ
たろう。
さて、「あけさん」である。一本気で、曲がったことが大嫌い、ま
さに竹を割ったような性格の人だったが、飲んべえなのが玉に瑕。
何しろ遊びに行くと夜中まで帰してくれないのだ。最終電車にだけ
は乗せてくれと懇願したこともあるほどだ。
飲みっぷりも鮮やかで、女にしておくのが惜しいような人だった。
実はかなりの巨漢であるのだが、その身体を揺すぶって大声で笑い、
歯に衣着せず、ずばずばものを言う。もっとも「あけさん」に言わ
せると「保枝ちゃんの皮肉にはかなわない」ということになるのだ
から、歯に衣を着せぬ点では私もいい勝負だったのだろう。
もともとはご実家の一階でシャトレーヌというクラブをやっていた
のだが、その時代を私は知らない。「あけさん」は女子美の出身な
のだが、店を始めたのは在学中のことだという。女子大生のママが
いる店だというので、神楽坂では話題の的だったようだ。
土地柄、いわゆる有名人も軒並み来店していたらしい。「ねえ、保
枝ちゃん、私、北大路欣也さんとキスしたことあるのよ」などと、
恥ずかしそうに自慢するのがとても可愛らしかった。実際、「あけ
さん」ほど純情でかわいい女性を、私は他に知らない。
私が「あけさん」と知り合ったのは店を閉めたあとである。間もな
く、店のお客さんだった人とめでたく結婚し、家庭を築いた。私た
ちは酔っ払い主婦同士、厚化粧で若作りの芸能人の悪口をかなり辛
辣に言い合ったりしながら、夜の神楽坂を飲み歩いたものである。
最後は必ず「あけさん」のご自宅におじゃまして、また懲りずに痛
飲する。ご主人にもずいぶんと迷惑をかけた。
あの頃はバブルの最盛期で景気も良かったのだ。やがてさん生は真
打ちになり、雅子ねえさん、舞子ねえさんご両人から立派な花もい
ただいた。だが、景気の低迷と共に私の方にも様々な事情ができて、
会社勤めを始めたりして次第に疎遠になっていった。
それでも年に何度か、思い出したように電話がある。たいてい酔っ
払っていて、話はめちゃくちゃで、なかなか切ろうとしない。純情
でかわいい上に、極端な寂しがり屋だったのである。「今度飲もう
ね」といって受話器を置くのだが、なかなか機会には恵まれなかっ
た。
数年前、暫く電話がないなと案じていたら、ある日ひょっこり連絡
を寄越して「入院していた」という。「飲み過ぎでしょう」とから
かうと「失礼ね」と笑った。そのときは婦人科系の病気だった。「元
気になったら飲みましょうね」とまた空約束をして電話を切った。
それから一、二年は元気だった。電話では何度も話している。「私
ね、20キロも痩せたのよ。保枝ちゃんに見せたいわ」などと言っ
ていた。そしてまた暫く連絡が途絶えた。今度は本当に飲みすぎで
入院していたのだ。「死にかけたのよ、ほんとうよ」と電話があっ
たのはいつだったか。
医者からは酒だけは止められていると言いつつ、電話を寄越すとき
はいつも酔っていた。「死んじゃうよ、あけさん」と何度も言った
ものだ。「だってこれしか楽しみがないのよ。ビールでも飲まなき
ゃやってられないわよ」と相変わらず豪快に笑っていたが、ほんと
うはかなり具合が悪かったのではないかと今になって思う。
最後に電話があったのは、もう一昨年になる。暮れだった。雅子ね
えさんが体調を崩して入院しているという話だった。「あけさんの
方は大丈夫なの」と訊くと「私、おかあちゃんより先に死ぬかもし
れない」などと弱気なことを言う。「死ぬ前に一度会いましょうね、
きっとよ」と何度も約束させられた。「縁起でもないこと言わない
でくださいよ」と私は正直言って腹を立てた。楽観していたのだ。
あの「あけさん」が死ぬはずはない。
その「あけさん」が亡くなった。1月24日のことだという。ご主
人から丁寧なお手紙をいただき、初めて知ったのだ。何ということ
だろう。まだ四十代。いくら何でも早すぎる。
会って飲めば、あの人ほど楽しい相手はいないことを私自身もわか
っていた。それなのに、どうして会いに行かなかったのだろう。怖
かったのかもしれない。20キロも痩せた「あけさん」、弱気なこと
を言う「あけさん」など見たくなかったのかもしれない。よくわか
らない。これだけは自分でもまったくわからない。
「私たちって嫌なババアになるわね。ババアになっても、しこたま
酒飲んでるんだわ、きっと」そんなことを良く言って笑っていた。
ババアになった「あけさん」と、飲みたかった。チャンスはまだま
だ何十年もあると思っていたのに・・・。
ごめんね、「あけさん」。最後の約束守れなくてほんとうにごめん。
私にはもうそれしか言えなくなってしまった。生涯最良の飲み友達
を、私は永遠に喪ってしまったのだ。