その昔は私も落語ファンであった。寄席にも通ったし、贔屓の芸人
さんもいた。ちなみにさん生ではない。さん生の高座を、結婚する
前も後も、私はまともに観たことがない。
自分の夫の落語に惚れ惚れとしてしまう、そういうかみさんも中に
はいるのだろうが、私はとてもそんな気にはなれない。大体、聴く
機会もない。芸人の身内が金を払って寄席に行くなんて言語道断だ
し、楽屋に顔を出すのも、まあ、人それぞれだろうが、少なくとも
さん生の好むところではない。
さん生自身の会があれば手伝いには行く。しかし高座は観ない。観
ている暇もない。うっかり観てしまって、惚れ惚れするどころか、
失望したりしたら、何だかやるせない話である。何しろ、冒頭で言
った通り、私もかつては落語ファンであったのだ。ちっとは聴く耳
を持っている。
ほとんど聴いたことのない夫の落語を、しかし先日、偶然聴く機会
があった。随分以前に池袋演芸場で収録した『締め込み』がCS放
送で流れていたのである。
何も好んでチャンネルを合わせる必要はなかったのだが、同時に放
送した小燕枝師匠の『猫の災難』のビデオ録画を頼まれた関係で、
何となく観てしまった、というより台所に立ちながら耳を傾けてし
まったのだ。
出来の巧拙に関してはコメントを差し控えたい。惚れ惚れも失望も
しなかったとだけ言っておく。それよりも、何だか妙に新鮮な感動
を覚えたものだ。落語に、ではない。「ああ、ちゃんと仕事してる
んだな」という事実に、である。
この人の職場は寄席なんだ、寄席で落語を喋るのが仕事なんだ、と
いう当たり前のことを、私は長いこと忘れていたのかもしれない。
それを改めて実感したからと言って別にどうってことはないのだが、
以来彼に対するスタンスが、ほんの少しだけ変わったように思う。
夫婦というより、何か「同士」のような感覚とでも言えばよいか。
何となく「がんばれよ」と言って、肩を叩きたいような、そんな気
持ちになったのである。
一般に、妻が夫の職場を覗く機会なんて滅多にない。しかしたまに
はそういう目で連れ合いを眺めてみるのも一興である。目に映る色
彩がぱっと明るくなるような、そんな新鮮な驚きを覚えるに違いな
い。家でゴロゴロ寝てばかりいる夫だって、外では厳しい表情で他
人と渡り合っているかもしれないのだ。もっとも、外でもぐうたら
だったりした日にゃあ、目も当てられない話ではある。しかしそれ
はそれで良しとするしかないだろう。見切りをつける一助にはなる。